《砂漠の光は不気味だ》太陽が地平線の先からのぞき始めた瞬間から、砂漠を照らす光は常に変化し続ける。僕はそ の強烈な光を見逃さないように、暗いうちから待ち構える。光は太陽の角度によって、天気によって、季節によって、 さまざまに変化し、まるで生きているかのように不気味な変化をみせる。そして二度と同じ光には出会うことがない。
《砂漠の生き物は自由である》砂の上を歩くふんころがしをずっと追いかけていくと、右往左往しながら砂の上にそ の軌跡を刻んでいた。ヤギはわずかな草を探して、人間が作った檻から自由に出ていき、夜になれば自分の意思で戻っ てくる。ラクダは広い砂漠をゆっくりと歩き回り、僕はその糞を道しるべに進むべき方角を確かめ、時にはその糞を 燃やして作ったピザを食べる。砂漠ではなにもかもが自由であることを、生き物から教わった。
《砂漠の人は強い》ノマドと呼ばれている遊牧民に憧れる。村から遠く離れ、砂漠の中で生活をする、それがどれほ ど大変なことなのか。いや、ひょっとしたら気楽でいいのかもしれない。砂漠に一人でいると、静かなことは間違い ない。電気はない。水も汲みに行くのは歩いて数時間。そんな場所で砂漠と寄り添いながら生きていくことを、僕は そっと考えてみる。未知なる生活の先にある答えは、今の僕にはまだ見つけることができないものかもしれない。でも、 それを追わずにはいられないのだ。仮に少しばかり傷つくことになるとしても。
《砂漠の夜は孤独である》月のない夜は、自分の足元さえ見えないほど真っ暗になる。漆黒の闇に飲みこまれ、一人 で恐怖に怯えたことがあった。月がある夜はどうかというと、今度は昼間の太陽の景色とは違う、月の光ならではの 異世界に出会える。月の光が明るければ明るいほど、砂の上で感じる孤独。そんな時に砂の上に寝転び、真上に輝く 星を眺めながら、小さな自分の存在を少し意識しながらうとうとするのは気持ちがいい。
《砂漠の時間は不思議だ》常に同じ長さで時間は進んでいるはずなのに、実際に砂漠に身を置いてみると、時間の流 れは一定ではないことを感じる。50 度の灼熱の太陽が照らしている砂漠の時間は、一瞬でさえも永遠に感じるほどだ。 どこまでも砂だけの景色を歩いている時にも、異なる時間軸のなかに身を置いている不思議な感覚にとらわれる。だ が止まったままの時間の中にいても、やがて目的地に着くと、時間は一気に進んでいたことに後から気づく。不思議 な体験。砂漠での時間の流れは、いつも自分の心によって変化しているようだ。
『SAHARA』とはアラビア語で『砂漠』のことである。
そして『SAHARA』は手でつかんだ砂のように、指の間からこぼれ落ちてしまうのだ。 風が吹くとすぐになくなってしまう…そんな蜃気楼のような世界なのかもしれない。